職場、学校、家庭内など、僕たちが生きるうえで辛い時ってたくさんありますよね。
でも、その辛い状況に陥ったときでも、今回ご紹介するちょっとした考え方を持っていれば、早くその辛い環境から抜け出すことができますし、そもそもそのような環境に身を置くことが少なくなります。
心が辛い時の参考にしてください。
目次
自分の辛い気持ちに付き合いすぎないこと
かつて僕は、10年以上も一緒に過ごした愛猫を亡くし、どうにもならないほど辛い時期を過ごしたことがあります。
大げさではなく、それはまるで世界からすべての色彩が失われたかのようでした。
心の空洞に耐え切れず、1週間後に新たに子猫を迎えました。もちろん、それで前の愛猫のことを忘れる事などできません。
しかし、子猫の元気すぎるパワーに付き合うには、悲しみに留まってばかりいられず、おかげで僕は辛い時期を乗り越えることができたのです。
僕の友人は、辛いことがあって心が落ち込むときには、アメリカの連続ドラマのDVDを大量に借りてきて、ひたすら観まくるそうです。
なぜ、アメリカドラマなのかと言ったら、スケールが大きすぎて自分には関係のない世界だと思えるからだそう。
いま苦しんでいる自分のことから、とにかく離れようとしているのです。
心が辛い時は、自分の悲しみにいつまでに付き合ってはいけません。どんなことでもいいので、「大量のエネルギー」を必要とすることを見つけ、同じ場所に留まっている思考を動かしてみてください。
辛い気持ちを癒してくれるのは「時間の経過」
僕は何か辛いことがあったときは、積極的に映画を観ることにしています。
どんなに辛くても映画館の座席に座ってしまえば嫌でも映画が始まり、作品や出演者のエネルギーにもみくちゃになるからです。
どんな2時間ほどを過ごすと、映画館を出たときには辛かったこともずいぶん前のことのように思えてきます。
この方法、あなたにもおすすめです。とにかく映画館まで行ってしまいましょう。
あるいは車を出して、遠くまでドライブするのもいいかもしれませんね。
しばらく会っていなかった友人を訪ね、おしゃべりをしまくるのもいいでしょう。本当は1日しか経っていないのに、まるで3日間くらい過ごしたような気分になる、そんな方法をいろいろ探してみてください。
辛い体験も人生の「場数を踏む」訓練
仕事のある大きなプロジェクトから、自分が外されるという体験をしたとき、僕の心は結構、傷つきました。
「今回は人を絞ったプロジェクトにしたいので」という主管部からの説明でしたが、どこか釈然としませんでした。
「なんで自分だけ、もっと仕事ができない人がいるんじゃないの」
そんなことをくよくよ考えて、しばらく落ち込んだものです。しかし、長く仕事を続け、たくさんの仕事をしていると、こんなことはよくあることだと分かってきました。
どんなに頑張ってみたところで、自分にはどうすることもできないことが世の中にはたくさんあります。
必要以上に落ち込むのではなく「あ、こういうことって起きるんだな」と単純に受け止めればいいのです。
場数さけ踏めば、それができるようになります。
会いたいと思う人に会ってみる
世の中は、さまざまな人間関係で成り立っています。そして、その大半が疲れるものです。
会社の上司、ママ友、近所付き合い、無視するわけにもいかないけど、正直なところ好きになれない、そんな人があなたにもきっといるでしょう。
一方、気心の知れた友人のように、「会いたい」「一緒に過ごしたい」と思える人も存在します。
彼らは、とくに説明しなくてもあなたの辛い気持ちをわかってくれ、癒してくれます。まるで「繭」のように包み込んでくれます。
この繭は大切です。
できることならいくつか持っておいて、人間関係に疲れたときは、積極的に繭のなかに入りましょう。そこでほっと一息つくことで、また復活できます。
大事なのは、「ちょっとまずいかも」と感じた初期段階でケアしておくこと。
思いっきり落ち込んでしまってからでは、カウンセラーが必要かもしれません。
そうなる前に、ときどき、居心地のいい繭のなかに入ることを習慣にするといいでしょう。
さらに辛い経験をしている人の事を考えてみる
絶対的に辛い時でも、相対的に見るとずいぶんと小さくなることがあります。
早い話が、あなたや僕の悲しみなど、世界レベルで考えたら相当にちっぽけなものなのです。
アウシュビッツの悲劇を描いたフランクルの『夜の霧』。
学徒出陣で戦死した人たちの手記『きけわだつみのこえ』。
あるいは、いま地球上で繰り広げられている悲劇もそうでしょう。たとえば、シリアの内戦で化学兵器によって命を奪われる子供たち。
いずれも、不条理などという言葉で片づけることができない絶望に打ち震えるしかありません。
こうした書籍やニュースに触れるのは、楽しい作業ではありません。胸が苦しくなることすらあるでしょう。しかし、やはり僕たちはそこから目を背けてはいけません。
とてつもなく辛い体験をした人たちは、僕たちに何かを学ばせ、そして救ってくれているともいえるのですから。
「負」のなかに幸福の意味を見つける
僕たちの人生には、日々さまざまなことが起こります。
当然、歓迎しがたいこともあります。しかし、そうしたことのなかにも幸福の意味を見つかられるようになるのが心の成熟です。
たとえば、地震などの自然災害で全財産を失ってしまう不幸が、日本ではたびたび起こります。夢だった自分の美容院を持ったのに、開店1週間にして崩壊してしまった人もいます。
本当に大変で辛いでしょうが、そういった人たちはなんとか乗り越えようとします。
乗り越える過程に幸福の意味を見いだせるからこそ、人はそれができるのだと僕は思うのです。
「こうありたい」という理想の形に中にしか幸福の意味を見つけられないとしたら、おそらくその人に幸福はやってきません。
しょうがないと思うと楽になる
ものすごく穏やかそうな人でも、心の中までそうとは限りません。誰だって。モヤモヤ、イライラした気分は抱えています。
辛いという感情もそうですが、嫌な気分というものは雲のようなもので、出てきたり過ぎ去ったりを繰り返しています。
問題は、それに巻き込まれるかどうか。「嫌な気分に襲いかかられている」などと被害者意識でとらえれば、どんどんネガティブな方向へ行ってしまいます。
「まぁ、しょうがないか」と考えたら、案外、ラクになります。
僕たちの心は、カルフォルニアの空のようにいつも晴天というわけにはいきません。
「あ、今日は曇っているのね」と軽く流し、嫌な気分にも慣れてしまえばいいのです。
辛い時は手抜きしよう
真面目は日本人は、「一応」と「念のため」が大好き。
しかし、そのほとんどはムダなものであり、これをこなすために苦しめられている一面があります。
たとえば、会議で「念のためにお配りします」「一応コピーを取っておきました」などと渡される書類は、実際にはたいした役もに立ちません。
こうした時間を省いていくことで、気分的に追い詰められることも減ってきます。
要するに、辛い時にはいい意味での「手抜き」が必要だということ。
なにを省いて、その分のエネルギーをどこに注入するかを見極めることが大事なのです。
どんな仕事もなんとなくで手をつけずに、優先順位を見極めていきたいものです。
恥をかくことに慣れよう
大半の人が知っていることを、自分だけが知らなかったりすると、なかなか素直には聞けないという経験はありませんか?
「あとで調べればいいや」と、その場は自分の知っているような顔をしてしまうものです。そう、知ったかぶりというやつです。
しかし、だんだん話のつじつまが合わなくなってきて。。。結局は「なんだ、あいつは」と低い評価を受けてしまうことになります。
仕事で顧客からのクレームを受けたときなども、きちんと上司に報告しなければ、さらに大きな問題に発展してしまいます。
責任感と「抱え込み」はちがうもの。一人で抱え込むことは、結局、周囲にも迷惑になることが多いのです。
つまらないプライドをに左右されず、「わたしはいま、こういう状態です」とオープンにしていくことで、辛い環境から抜け出すことができるようになります。
とりあえずやってみよう
僕は会社で新入社員のトレーナーになることが多いのですが、そんなときに、その新入社員の教育として何かプレゼンをさせてみると、たいていは無知識&緊張でうまくいきません、
しかし、そこで「じゃあ、やめておこう」と諦めてしまったら人は成長しません。
できようができまいが、がんがん挑戦してもらいます。
こうして無理にでも繰り返していると、誰でも堂々としてくるのです。3~4回も繰り返すと、積極的に話をしたがるようにすらなります。
つまり、すべては「慣れ」なのです。
あなたにも「こういうことは苦手だ」と感じる分野があるでしょう。それがあなたの足を引っ張り、今の辛い状況を生みだしているのかもしれません。
でも、それは不得意なのではなく慣れていないだけ。
とにかくやってしまったもの勝ちです。
ただし、このときに「つるんだ」やらないこと。自分を人前にさらしてみる経験が重要なのです。
命まで取られることはありません。
自分を人前にさらしてみましょう。
やってみれば、案外、簡単なことです。
圧倒的な負けをこなそう
長く天才騎手として競馬界を引っ張っている武豊さんが、面白いことを言っていました。
武さんほどになっても、勝ちよりは負けの方が圧倒的に多く、負けたことでいちいちショックを受けてはいられないそうです。
たしかに、18頭で争うレースなら、勝ちは1頭であって残りの17頭は負けです。
そういうレースに1日に何回も騎乗するのですから、どれほど優秀な騎手でも負けのほうが圧倒的に多いわけです。
ただ、大きなレースで勝てるような強い騎手は、そういう膨大な負け体験をムダにしていない。そこから、何かしらを学んでいるのだ、と。
僕たちの人生も同じでしょう。
成功体験よりも失敗の方がはるかに多い。
だから、失敗にいちいち落ち込むことはないけれど、そこから得られるものは得ておく。
そんな姿勢でいられたら人生も大きく変わっていくことでしょう。
強い人はたくさん勝っているわけではありません。
「圧倒的な数の負け」を無駄にしていないだけなんです。
血流を流し、呼吸を意識しよう
いちどネガティブな思いにとらわれると、なかなかそこから自由になれない人がいます。
「もう、こんなこと忘れよう」と思えば思うほど、辛いことばかりを思い出し、意識してしまうのです。
そういうときは、心についてはひとまず横に置き、体を動かして血流を循環させること。軽いストレッチや腹式呼吸などで、呼吸も気も流しましょう。
それによってネガティブな辛い思いも流れていきます。
そもそも、メンタルを大げさに考えすぎるのは、身体力が落ちているという理由も大きいのです。
辛い時ほど、メンタルを救えるのはメンタルではなく、身体力だということを覚えておいてください。
自分がどれだけ愛されているか気づこう
「自分は愛されていない」
こんな思いにとらわれて辛い時には、「内観」をしてみましょう。
内観とは、浄土真宗の修業を行う上で生まれた自己啓発の手法で、自分の心のなかを徹底的に見つめるというものです。
本格的に行う場合は、一切の情報を閉ざした状況に身を置き、1週間ほどひとりでひたすら「周囲の人になにをしてもらったか」「自分は周囲の人になにをしたか」を考えます。
僕も経験したことがありますが、過去にさかのぼって「内観」していくと、親や周囲の愛に気づき、自分でも驚くほどの感謝の気持ちに満たされていきます。
人間というものは勝手なもので、自分がしてあげたことを覚えているのに、人からしてもらったことは忘れています。それを思いだすことをしてみましょう。
もちとん、浄土真宗の信者でなくてもできますし、1週間かける必要もありません。
ふだんの生活に「内観」を取り入れていくと、心のありようは間違いなく変わっていきます。
仕事の中に意味を見出そう
やりがいのあるプロジェクトなどに従事しているときは、残業続きでも疲れを感じないものです。
ところが現実的には、たいていのビジネスパーソンは疲れ果てています。それは仕事が辛いからではなく、仕事の意味を見いだせないからです。
ドストエフスキーは『死の家の記録』で、もっとも残酷な刑罰は、たとえば砂の山を移し、また元の場所に戻させるといった無益で無意味な労働だと書いています。
人は意味のない仕事には耐えられないのです。
しかしながら、ビジネスパーソンは収容所に収監されているわけではありません。穴を掘って、また埋め戻させられているわけでもありません。
あなた自身、本当は非常に意味のある仕事をしているのです。そこに気づけずにいるだけです。
「いま、自分が行っていることは、会社全体の仕事のなかでどういう意味をもっているのか」ということを考えてみましょう。
怖さや辛さも乗り越えていくのが恋愛の醍醐味
自分が好意を抱いた相手が、自分を好きになってくれるとは限りません。
好きな人にふられることは辛いことですが、それを避けていたら本当の恋愛は成り立ちません。「あの人なら絶対に平気」という安全パイだけを相手にしていても、自分の気持ちは燃えないでしょう。
学生時代、ひとりの同級生がすごい美人に恋をしました。
かなり無理筋の恋愛でしたが、彼は果敢にラブレターを書きました。
その内容を仲間で練り、渡した後には、「どうだった?」と一緒に一喜一憂したのを覚えています。
こういうワクワクや、うまくいかなかった時のショックがわたしたちの感性を作り上げています。同時に、人間としての幅広さや魅力も作り上げています。
相手から微妙なサインを見逃さないのもコツ。いけるにせよ、いけないにせよ、SNSの文ひとつからも「兆し」は見えます。
ふられるのは辛いですが、そこは勇気の問題。怖さや辛さも乗り越えていくのが恋愛の醍醐味だといえます。
★仕事が辛い時の対処法はこちらの記事に詳しくまとめています。
仕事が辛いあなたへ。僕はこれを知ってそのしんどい時代を乗り切ることができた。
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